\(^_^) 心 模 様 (^_^)/

リウマチックな思い・・・いろいろと語ります。
でも、思いは時間とともに変わっていくみたいです。
どんな迷いもいつかは解ける気がするんですよね。


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(↓読みたい項目をクリックしましょう↓)
私、どうなるの?もしも、選ばれたのならあきらめるという選択
受け入れるってことは(家族編)受け入れるってことは(本人編)去る者、残る者
つかず、離れず人の視線人と違う生き方
リウマチだと不幸?私の生きる道恋愛のカタチ
強くなりたいオープン イズ ベスト? 



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〜 私、どうなるの? 〜

私のリウマチの進行はめちゃくちゃ早かった。
あっという間に次々と当たり前のことができなくなってしまう。。。
1ヵ月後にはバイトが止まり、2ヵ月後には自力で身動きできない。
とにかく、心が体の変化に追いつけない・・・。
自分でその変化を理解して消化していく暇がない。

20歳の若さで親に脇を抱えられ、もうフラフラになってた(汗)
やっと親孝行を夢見始めたところで、
なんと情けない姿になってしまったんだろう・・・。
私はどうなるの?このまま一生寝たきり?それとも・・・死?

わかったことは、どんなにしんどくても、情けなくても、
現実から逃げることはできないNever Ending Story。
リウマチってそういう病気なのだろう。





〜 もしも、選ばれたのなら 〜

私は神様に選ばれたのかもしれない。。。
天井の模様を眺めながら、結局そこに行き着いた。
もし、そうだとしたら・・・
私にはきっと越えられるだけの力があるということなんだろう。
だんだん目を向ける方向が変わった。

どうすれば朝起き上がれずとも薬が飲めるだろう。
どうすればベッドの上でも過ごせるだろう。
どうすれば両親の負担をより軽くできるだろう。

すっかり「考える人」に変身していた。
小さくてムダなことでも、可能性を追いかけた。
どこかにきっと答えがある。ダメもとの生活が始まった。





〜 あきらめるという選択肢 〜

大好きなスポーツ、着たい洋服、行きたい場所、やりたい仕事・・・
何かとあきらめるという選択を迫られることが増えた。

初めは・・・やっぱり「挫折感」の連続だった。
仕方がないのだと無理やり自分から引き離したり、
はじめからそんなものは存在しなかったのだと、
記憶を抹消してしまいたかった。

でも・・・物は考えようなのだ。
「あきらめない」という選択肢もないわけじゃない。
そのかわり、この先ずっと悩み続ける人生が待っている。
なんだかそれは違う気がする。
先々長い人生、そんなことに費やすのはやっぱりもったいない。

あきらめるという選択肢は、新しいことが始まる最初の1歩。
見切りをつけて、それに代わる何かを探した方がいいこともある。
そしていつか時が過ぎて、断腸の思いであきらめたことが、
実はとても小さなことだったと笑ってしまうことも。





〜 受け入れるってことは(家族編) 〜

リウマチと聞いた時、はぁ・・・?って感じだった。
初めは誰もが「お年寄りの病気」だもの(笑)
・・・歩けない・・・立てない・・・起こしてぇ・・・
そんな娘を見て、親は一生寝たきりを覚悟したそうだ。

両親が私にしてきたことは「人事を尽くして天命を待つ」。
座れなければイスを準備。起きられなければベッドを用意。
目の前で起きることに対してただただ忠実に・・・。
現実をそのまま受け入れてくれていたようだ。
とにかく、なっちゃったんだからやるしかないという感じ。

なんでできないの?そんなこともできないの?
そう突っ込みたくなる気持ち、きっとあったんじゃないかな。
(いや、遠慮なく突っ込んでた・・・うちの親は(汗))
ありのままを受け止める・・・一見当たり前なことだけど、
なかなかできないことだと思う。





〜 受け入れるってことは(本人編) 〜

今の自分が「自分」になるってこと・・・なのかなぁ?
過去の自分を中心に考えると頭を抱えてしまう。
過去の自分ならこんなことくらいできたのにってね。

リウマチになってしばらくは過去に執着していた。
自前のラケットやイキイキした写真を見て、悲しかった。
その後、過去を封印した。
健常者時代なんて私にはない。今の私が「私」なんだって。

なにもない、ゼロからのスタート。
できなくて当たり前、できたら超ラッキー♪
人から見ればできて当たり前のことだけど、
自分はよくやったのだと勝手な自己満足の繰り返し(笑)

私はまだリウマチ暦で10歳にもならないガキんちょだ。
(2004年8月現在で・・・)
悟るにはまだまだ修行が足りない。
そう思えば、受け入れることに焦る必要はない。
ゆっくりゆっくりオトナになればいいのだ・・・なんてね(笑)





〜 去る者、残る者 〜

リウマチになって、人と疎遠になってしまったことは少なからずある。
寂しいけれど、いつしかそんなものだと思うようになった。

だけど、こりずに連絡してくる人がいる。
「ごめん、今日はちょっと動けない」
とたんに家まで手土産付きで押しかけてくる。
そして、他愛のない仕事や彼氏との近況を
あっけらかんとグチって帰っていく。

まったく、逃げられない病人をつかまえてこの人たちは・・・(苦笑)
でも、なぜか涙が出るほどうれしい。
その人たちこそが、かけがえのない人たちなのだ。

彼らに何もしてあげられないかもしれない。
でも、もし、できるのなら、
心のよりどころのひとつになれたらうれしい。
私はいつもここから逃げられないから(笑)





〜 つかず、離れず 〜

これってちょっと難しい距離感だと思う。
慣れないと少なからず気を使ってしまうことあるよね、きっと。
たとえば・・・障害を持っても、
自分でできることはちゃんとやりたいって気持ちはある。
だけど、私のノロノロモタモタ機敏さのかけらもない姿は、
はたから見て、はっきり言ってじれったいと思う。

私の両親や友達は、その微妙な距離をマスターしたみたいだ。
両親も友達も、基本的には助けを求めるまで手を貸さない。
初めは遠慮がちだった私も、
どーしてもダメな時は素直になる。「ごめん、頼むね(^人^)」

好意とはいえ、何でもかんでも手を貸してもらってしまうと、
やはりどこか引け目を感じてしまうもの。
だけど「手を貸してほしい」気持ちを相手に伝えないまま
「理解がない」というのも、私的にはフェアじゃない。
微妙だけど、ちょうどいい距離ってきっとあると思う。きっと。





〜 人の視線 〜

ほんの1年足らずで、目にも鮮やかな(?)障害者に変身した。
常に人の視線を感じたし、心無い言葉を何度も耳にした。
それでも外出できるようになったことが幸せだったし、
いちいち気にしてたら、どこにも行けなくなってしまう。
そんなのつまらないじゃない?

「早く見慣れてちょうだいねv(^_^)」
最後はそんな気持ちで堂々と歩くようになってた。
珍しいものを目にすれば、無意識に気になるのが人間なんだよね。
逆に言えば、見慣れてしまうと誰も見向きもしなくなる。
むしろ、見ず知らずの私に「頑張って」「大丈夫?」と、
声をかけてくれる人がいたりするからびっくり。
人間はそういう生き物なのかもしれないよね。。。
    
ついつい、人の視線の冷たさに気をとられがちだけど、
そんな一握りのやさしさに触れると、
もう少し頑張ってみようかなって・・・思わない?





〜 人と違う生き方 〜

仕事以外の人生なんて考えられなかった。
学業→仕事→結婚→出産→育児→老後
これ以外に何があるのさ?って正直思ってた(汗)
仲間は就職し、どんどん社会に溶け込んでいき、
取り残されていく自分に焦りを隠し切れなかった。

少しでも体調が良くなれば、仕事に就きたいと願った。
でも、リウマチに同じ体調の日はないといっても過言ではない。
今日動けても、明日動ける保証がない。
そのたびに奈落の底へ転げ落ち、懲りずに挫折を繰り返す。
ある意味、バカとしかいいようがない(苦笑)

仕事への執念をバッサリ切ったのは親の引導の一撃だった。
「人は誰一人同じ人生を生きる人はいない」
直球ストレートに言えば「仕事以外の人生もあり」ということ。
親曰く、この日以来、私は変わったのだという・・・。

仕事に見切りをつけるべし・・・そういうことなんだろう(汗)
ショックだった・・・けれど、何かが吹っ切れた。
「人と違う生き方」もありなんだと自覚してから、
私オリジナルの生き方をしようって思った。
今も・・・まだ探し続けている。





〜 リウマチだと不幸? 〜

20代でリウマチというと、返ってくる答えは決まっている。
「大変ね・・・」「若いのに・・・」「かわいそうに・・・」「気の毒ね・・・」
「若いから早く治るわよ(これは多分ウソだ(汗))」
「お仕事は?」「結婚は?」・・・このくらいにしておこうかな。

若年のリウマチは不幸とられがちなのだけど・・・
「不幸」とはちょっと違う気がする。
健常者には見えないものが見えるようになったり。
今まで考えもしなかった可能性を見出すことができたり。
人との出会いもそうだし、人の意外な温かさに触れることもある。

ちょっとしんどくて、心に余裕のなさを感じることはある。
でも、多分、それはリウマチであってもなくても、
それぞれの環境で感じるんじゃないかって思う。
若いリウマチはとても不便だけど、不幸でもない。多分。





〜 私の生きる道 〜

家でのんびりマイペースで暮らす。
まるで、老後を迎えてしまったような、そんな生活。
優雅な生活に見えるらしく、よくうらやましがられる。

でも、それは考えているより精神的に追い詰められやすい。
自分の価値観を見失ったり、居場所がなかったり・・・。
どんなにそんなことないよって顔してだましきっても、
やっぱり悲観的になったりどこか人の顔色を伺うことはある。
私もそんなに強い人間じゃないから(汗)

先の長い人生に不安だって感じていないわけじゃない。
でも、とりあえず「今」を生きることを考えるようにしている。
未来は今の積み重ね。今を生きられなきゃ未来はない。
今できることも、この先できる保証はない。
だから、できないことより、今できることを必死こいて探す。
それが「私の生きる道」・・・なのかも。





〜 恋愛のカタチ 〜

私はカタブツなところがある。
物ごとこうあるべきという変なビジョンが出来上がってしまっている。
リウマチになって、それがガタガタッと崩壊。
恋人として、妻として、母として、何ができるだろうと考えた時、
途方にくれてしまった。
恋をする資格さえ失ってしまったのかもしれない・・・と。

多分、それは違う。。。時間がたって、そう思い始めている。
人にはいろんな恋愛の形がある。
私にもまだはっきりとは見えないけれど、
新しい恋愛のビジョンが見えそうな気がしている。
多分、まだ先のこと。もう少し時間がかかりそうだ。

でも、これだけは決めている。
いつか出会う人とは、とにかくいっぱい話そうと思う。
言えなくて苦しんだことも、今なら言えるような気がするから。





〜 強くなりたい 〜

私は確かに意地っ張りだ。
(「責任感が強い」といってほしい(苦笑))
これでも丸くなった方だと自分でも思っている。
人に頼らず生きてみせる!なんて、
本気で思ってた時期もあったのだから(汗)

だからというわけではないけれど、
リウマチになった時から「強くなろう」といつも思ってきた。
それはつまらない意地を張ることではない。
物ごとを受け入れる強さだったり、打たれ強さだったり。
何事にも動じない巨木のような人になれたらいい。

そうなれたとしたら、もっと自信が持てそうな気がする。
どんな環境でも、生きていけるんじゃないかなって。





〜 オープン イズ ベスト? 〜

私は基本的に病気は隠さない。
隠したって見た目でバレる。ムダムダ。
人の反応は人それぞれ。
でも、思ったより悪いことばかりではないようだ。

まあ、そういうことはどうあれ、
私は今でも人の手助けなしには生きられない。
たとえ、どんな非難を浴びても、
伝えなければならないことがたくさんある。
それは、本当に勇気がいる。
今でも「助けて」の一言に躊躇することがある。
それはきっと、リウマチさんならみんな同じだよね。

どうせバレバレのリウマチさんな私なんだから、
できるだけバラしておこうと思う(笑)
次にその人が出会うかもしれないリウマチさんに、
少しでもやさしくなれるように。。。

私の理想・・・突っ込まれたら、突っ込み返せるくらい、
自分の病気もネタにできたとしたら、
相手にも気を使わせなくて済むんだけどな・・・(汗)



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