10年記 〜 1998年 〜
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この時期は、気持ちが転げ落ちそうになりながら、
必死でしがみついている状況でした。
ぶつけようのない思いを消化するためだけに始めた日記。
雄たけびが多いですが、のぞいてみてください(;^_^A


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1998/11/15(日)
あたしだけかと思った。
すごくみじめで情けないのはあたしだけだと思った。
でも、いろいろなところで、さまざまな人が壊れてた。
仕事でつらい思いをした人、病気でつらい思いをした人、
他にもたくさんつらい人がいた。
自分を必死で応援してきたけど、
他の人を少しでも応援してあげられる余裕が持てたらいいのにね。
幸い、書くことと話すことができるから、
できることをしてあげたいよ。
みんな、ガンバレ!
いつか、幸せが来るように・・・

それから、なぜか今日は涙もろい。
また今度生まれ変わるとしたら、
ここに生まれたい。
お父さん、お母さんのいるここがいい。
この幸せな環境に涙が落ちそうだ。


1998/11/1(日)
あと少しの辛抱だから・・・
今度こそ良くなるから・・・
そしたら今までの分の迷惑をすべて返して
やりたいこと、やるべきこと、やろうか。
今はそれを書きとめて、2年前に帰ろう。
あの時からやると決めてたこと、やろうよ。
それまではしんぼうしよう。


1998/10/30(金)
私がいることでつらい思いをする人がこれ以上増えないように。

私よりつらい人がまわりにたくさんいることわかっているから
私さえいなければ・・・何度そう思ったかわからない。
私のせいでつらい思いをする人がこれ以上増えないように
私は祈ることしかできないのかな

私のせいで憎み合う人がいるのはつらいです。


1998/10/19(月)
耐えがたい痛みで、泣きたくなくても勝手に涙が出てくる。
毎日確実に増えていく洗濯物。
それはすべて母の仕事となる。
私は横目で見ているだけ。
もう洗濯どころじゃない。

他人が見たら、“なんだ、歩けるじゃないか”と、
簡単にいってくれるだろう。
でも、これが歩いているというのだろうか。
立つまでに10秒。1歩に3秒。
時には立ち止まって、顔をしかめる。


1998/10/11(日)
うそみたい。でも、多分本当。
歩けなくなるってこういうことなんだ。

あたしは何をすればいいんだろう。
あたしはどうすればいいんだろう。
すべてはあたしの努力が足りないから?
やらなきゃいけないこといっぱいあるから
本当はこんなことしていられない。
でも、やろうとすると涙がこぼれる。

とにかく立って歩きたい。
歩けなきゃ、何も始まらない。
そのためにできることって何?
泣きながら歩くこと?
頭の中が疑問符でいっぱい。
解決するすべを知りませんか?
知っていたら、教えてほしい。


1998/9/6(日)
大げさだとか言われそう。
でも、いつもこのまま何もできなくなりそうでこわい。
何かが起きるたびに慣れてきたというか、悟りを開いたというか・・・。
でも、確実に悪くなってきている。
前よりずっとひざが痛い。
立つのもこんなにいやだと思ったことはない。
そして、いつからか肩の痛みが激しくなって、
ひじ、指にまで至ってしまった。
いつまでこうして書いていられるだろうか。
いつまで歩くことができるだろうか。
いつまで気力が続くだろうか。
私・・・どこも変わっていませんか?
私・・・昔と変わっていませんか?
私・・・いままでみたいに話せてますか?
私・・・今までみたいに笑っていますか?
ひとつずつ何かが失われていくのがこわい。
いっそ、初めから何もなければ・・・と思うときがある。
命を絶つことすらできない臆病な私を、自ら恨むこともある。


1998/9/4(金)
今日だけ、がまんしよう。
明日はもしかしたら平気かもしれないから。
明日もダメだったら、“今日だけ”がまんすればいいよ。
明日が平気になる日はきっとくる。


1998/8/31(月)
朝の時間はあっという間に過ぎていく。
ほんの少しイスに座っているだけでも、
30分〜1時間なんてあってないような時間だ。
でも、昼間が長いから1ヶ月がとても長い。
雨の音を聞いたり、ガラス越しで外を眺めたり、雨の日は特に長い。
何度も同じ窓辺で、降り続く雨を、今日も 同じ顔で眺めるのか・・・。

新聞などで、恨み言なしの日記を残すおばあさんや、
痛みを訴えることなくキレイな死に方をする人のことが載っている。
えらい・・・。
どうがんばっても、どう意地を張っても、
そんな生き方はできないだろうなあ。
私が弱いのか・・・。


1998/8/28(金)
いよいよ、資格の勉強も厳しくなってきた。
手首、肩、指が思うようにならない。
やっぱり無理なのかなあ。
このところ、ほとんど散歩らしいものはしていない。
このまま動けなくなるのも苦痛だけれど、
つらい思いして動いて涙するくらいなら・・・と
天秤にかけるが、ずっと揺れ動いたままだ。

母親のおかげで、今はフラフラ動いている。
TVの音につられてフラフラしたり・・・。
人がいると、違うもんだ。


1998/8/25(火)
逃げてしまいたい。
逃げられるものなら、逃げたい。
泣くな。泣くな。
泣いたら負けだ。


1998/8/23(日)
昨夜から“24時間テレビ〜愛は地球を救う”チャリティーキャンペーンが
行われていた。
昨年も、涙x2だった。
特に、体の麻痺した初めての年だったということもあったのかもしれない。
今年も“いかだで海へ”や“24時間マラソン”“巨大紙飛行機”
さまざまなチャレンジがあった。
すごい。
本人の努力もそうだが、まわりの人たちの力に感動する。

私は、昨年は千羽鶴、今年は資格、
来年は・・・これから先、どうしよう。


1998/8/22(土)
高校生のザツな話し声も、
バスケットボールの音も、右から左に抜けていく。
どこを見ても、無様な自分を化け物を見るような眼が
光っているように見える。
それすら見る余裕もなく、それでいて刺さるように感じる視線。
神様は笑っているのだろうか。
無様な姿を見て、笑っているのだろうか。

明日はどうなるんだろう。
また、こんな日がくるんだろうか。
少しでも笑わせようとがんばるけれど、がんばればがんばるほど苦しいよ。

今年も高校野球でがんばって力投する横浜の松坂投手に救われる。
そして、今日と明日は24時間テレビに救われる。
それまでがんばってみようか。


1998/8/20(木)
今日もダメだった。
今日は朝っぱらからノートに向かう。
もう気力がないのだ。
立とう。立とう。いくらそう思っても、体が動かない。
こわいのだ。
立つ時、歩く時の強い痛みが。
毎朝、わかっている。
立たなきゃ今日が始まらないこと。
立てば、まだ歩けるのだ。
でも、立つ気がないのだ。
いっそこのまま寝たきりに・・・
そう思う日もあるが、他の痛みに押されて、寝るのもつらい。

やっと今日も起きた。
“神様が私を選んだ”
“私だから、ちゃんと耐えられる。ちゃんと生きていける。”
“そんな私だから選んだ”
そう思って、必死で起きた。
そう思わないと、つらくていられない。


1998/8/19(水)
毎日毎日苦しいことばかり。
そろそろ解放されるのでは・・・と毎晩同じことを考えて寝るから、
毎朝起きると、ゆううつが二重三重にのしかかる。
せめてトイレくらい・・・
とても他の人には言えない。
こんなじゃとても出掛けられない。
みんなと笑顔でいられない。
どっかに逃げてしまいたい。
痛めつけないと生きていけないなんて、つらいよ。
痛めつけてもつらいだけ。
それもすべて自分のため。
人のためならがんばれるのに、
どうして自分のためだとこんなに泣きたくなるの?
終わらないのかなあ。
私はずっとこのまま変わらないのかなあ。
やめて。これ以上苦しまないで生きていきたい。
長い寿命なんていらないから、もう少し静かに生きていきたい。
恋も仕事もいらないから、
せめてこれ以上苦しまないで生きていきたい。
みんなには笑顔だけ残していきたいから。


1998/8/10(月)
まわりは何も変わっていなかった。
なのに、私だけが何もかも変わっていた。
ホントは変わりたくなんかなかった。
何もかも昔のままならよかったのに・・・。
変わってしまった私は、にっこり笑って座っている私でしか
みんなといることができなくなっていた。

笑っていることで、やっと淋しい自分を必死で隠していた。
でも、いちばん淋しいのは、
いつまでたっても今の状態を受け入れられない私を
何よりも憎く思うようになったこと。
ぶつけようのない憎しみが、指の痛みを激しくする。
現実を受け入れられない自分、そこから一歩も進めなくなった自分、
先を見つめることができない自分。
できるものならナイフで切り裂いてやりたくなる。
それさえ臆病でできない自分が憎い。

自分より悪い状態の人の功績を聞かされる。
“こんな人もいるのよ。えらいでしょ?”
“あなたはまだいい方よ”
そんなことを言うくらいなら、何かひとつ自分でできた時、
“よくやったね”“がんばったね”
そのひとことがどんなにうれしいか。
そんなこと、自分にしかわからない。
悲しいね。
こんなことしか考えられない私は、悲しいね。
先の幸せを見つけ出せない私は、悲しいね。
世間はもっと大変なのにそれすら引き受けられない私は、悲しいね。
そんなうそのような平和なんていらない。
悲しんでいられないような、あたりまえな平和がほしい。


1998/8/2(日)
このところ、“もう少し楽に生きられないのか”が口グセのようだ。
長い寿命はいらないから、もう少し楽になりたい。
10年、5年でもいいから少し楽になって、眠るように逝きたい。


1998/7/14(火)
書類完了。長かった。
何度病院に通えば・・・。何度市役所に通えば・・・。
たった2つの申請に、長い時間振り回された。
日本のシステムは、立派だけれど難しい。
でも、今回、やっと書類が片付いたという喜びのせいか、
体中つらいわりにツライと思わなかったのが不思議だ。
明日も何かいいことがありますように。


1998/7/12(日)
体の使えるところが減ってきている。
だからこそ、生活範囲を狭くすることが求められるのは当然のことだ。
できないことはするな。
着られないもの、着ないものがあふれてる。

でも、正しいとわかっていても、
この味気なさ・・・いったいなんだろう。


1998/7/11(土)
何かしていないといられない。
でも、何かをずっと続けることができない。
そこにほんの少しでも隙間があれば、きっとこわさに震えてしまう。
書いていれば、いつか指の自由がなくなる時がくる。
歩いていれば、いつか痛みやズレで歩けなくなる。
話をすれば、いつか途絶えてしまう。
本を読めば、いつか首が苦しくて読んでいられない。
何をするにもほんの少ししか時間がない。
ずっと座っていれば歩けなくなる。
ずっと寝ていれば起きられなくなる。
何もかもがこわいのかもしれない。
明日がどうなるかわからない自分を恐れているのかもしれない。


1998/7/10(金)
不在者投票に行った日。

やっと書く力が戻ってきた。
手紙を書くスピードがかなり違う。
体調の変化か、はたまた、気持ちの変化か。
ともあれ、これで少しは気が楽になるだろう。
これが私の元気である証拠だから。


1998/6/27(土)
耳元に風があたって、つい結んでいる髪をはずすしぐさをする。
そう、忘れていた。
私にはもうほどく長い髪などなかったんだっけ。
女の子の長い髪やサンダルを見るたびに、
ついあの頃を振り返ってしまう。
こんなこと、何度くりかえすんだろうか。


1998/6/23(火)
同じことのくりかえし。
あとどのくらいこんなつらい思いをするのだろう。
治まるどころか、痛みが激しくなる。
指はいよいよ鉛筆や箸に影響が出始める。
もう壊れていく体を止めるすべはないのだろうか。

情けないけれど、1年半で精神ダウン。
何かいいこと落ちてないかしら・・・。
自分ではもう探すすべを知らないよ。
紅茶も前ほど助けにはならなくなった。
唯一の楽しみだったはずなのに・・・。

電話もしたくない、出たくない。
何を話せばいい?
何を言えばいい?

楽しくできない私はキライ。
楽しく演じられない私はもっとキライ。
でも・・・がまんするのは・・・つらいよ。


1998/6/9(火)
友達と会って思ったことは、人に甘えすぎてるのかな・・・と、
自分を反省しなきゃ・・・ということ。
ちゃらんぽらんに見えるけど、
ちゃんと地に足をつけて歩いてきたんだな・・・と思う。
必要な道も、無駄な道も、ちゃんと歩いてきたんだってことがわかる。
それに比べて、私はなんだったんだろう。
この1年半、逃げまわっていた。
病気からも、人の親切からも、何もかもから遠ざかろうとしていた。
そろそろ現実をしっかり受け止めて、しっかり自分で立たなくちゃ・・・。
具体的にはどうしていいかわからない。
でも、痛みから逃げちゃいけないんじゃないかなあ。
すごく難しいことだけれど・・・。

何をすればいいんだろう。
何かしなきゃいけないような気がする。
ホントは何もできないこと、十分わかっている。
でも、自分の無力さに泣かなくてもいいように、何かしたい。
私にできること・・・探さなきゃ。


1998/5/29(金)
いつも、漂流してるみたいだった。
気持ちが浮いたり沈んだり。仕方ない?
落ちるところまで落ちれば大丈夫・・・と思いつつ、
しっかりしろヨ、がんばれヨと、自分を応援する。
変な気分だけれど、そうしていないといられない。
でも、不思議と這い上がるものだ。


1998/5/27(水)
これ以上思い出したくない。
小さな失敗も、大きな過ちも、終わりにしたい。
この時期、どうして余計なことを考えてしまうんだろう。
知らない人と話す度に汗だくになり、人とすれ違う度にこわい思いをして・・・。
私らしくない。
馬鹿なこといって。笑って。笑わせて。励まして。元気付けて。
結局一生懸命うそついて。うそに疲れて。
でも、本当のことは言っても仕方なくて。訴えても仕方なくて。
5月で終わってしまえばいいのに。
5月病として片付いてしまえばいいのに。
限界は、あとどのくらい先にあるんだろう。


1998/5/16(土)
気持ちに余裕がない。
何につけても難癖をつけてしまう。
5月病ってこういうのも入るのかな。
気分転換に出かけたが、人が多い。
買い物客の見える席に座りたくて、
カップルの隣りの席に座ればジロジロ見られるし、
後ろに座ってたおばあちゃんには聞こえるようにいろいろ言われるし。
パフェを頼もうとすれば、注文を聞いてもらえないし。
唯一の気分転換は、食べることになってしまった。


1998/5/14(木)
こわい。正直こわい。
私はどこまで崩れていくんだろう。
肩もひざも崩れた。
今は何とか支えてはいるけれど、いつか歩けなくなる。
その時は、自分のひざじゃなくなる。
それはそれでも歩けるなら手段は選ばない。
がんばるしかない。
首輪をはめることになった。
すべて自分のため。
大変なのは私だけじゃない。
支えようとする人、治療費のためにがんばる人・・・みんなが大変になる。
何もできない自分が悲しくてならない。
沖縄になんて行けなくてもいい。
一生恋なんてなくてもいい。
だから、せめて、人の手を借りず、自力で生きていく力が欲しい。
介護する人の声と自分でどうにもならないまま崩れていく体。
どっちもよくわかるから、泣きたくなる。
泣かないって決めたから、もう涙はないけれど。


1998/5/2(土)
体が不自由になるって、こんなにも人を遠ざけてしまうものなのだろうか。
いつも心の中で葛藤している。
会いたい。でも、体が痛い。
体が動かないなら、みんなに迷惑がかかるから、一緒にいない方がいい。
「できないことはするな」そのとおりかもしれない。
私も自分勝手だ。
どうせ、約束してても、体調次第でドタキャンばかり。
やっぱり・・・
こんなになってしまうなら、
いっそみんなの記憶から私の存在がみんな消えちゃえばいいのに。

あなたの中から
私がいなくなればいいのに
いっそその方が
さみしい思いを消せるのに
何もかも白紙になればいいのに
どうにもならないこの思いと、
どうにもならない私ごと
悲しいです・・・


1998/4/30(木)
この痛み、どこにぶつけよう。
常に付きまとう不安、どこにぶつけよう。
まちがえて転んだりしたら…、間違えて階段でも踏み外したら…
半身不随になるかもしれない。
たとえ免れても自力では立てない。
前の方がいいかもしれない。
前は足が突っ張って重苦しいだけ。
動きたくても動けないだけ。
今は痛くて動きたくても動けない。
私だって歩き回りたい。
もう少し楽にならないと、平気で出かけたりバスに乗ったりできない。
私が弱いのかなあ…。
もう少し痛みが引いてくれないと自分をだましきれないよ。
かろうじて支えてきた肩すら上がらない。
あげられない。
痛い以外の何者でもない。
負けそうだ。
どうすれば、前みたいに痛みが来ない?
あれほど楽だったのに。
どんなにマッサージしても、どんなに痛みをこらえて肩を上げても、
それ以上あがらない。
それどころか、むしろあがらなくなっていく。
負けそうだ。泣きたい。


1998/4/27(月)
この何もやる気のおきない無気力さ、骨のきしむ音、
動かなくなっていくのを実感した情けなさ、こわさ、
やりたいと思えば思うほどつらさが増していく。
プールに飛び込んでしまいたかった。
とにかくお湯をめいいっぱい出して顔にあてる。
精神的なつらさでは絶対泣かなくなった。
それだけでも自分で“えらいね”って褒めてあげていた。
前は、外でバスケを楽しむ高校生を見るだけで涙が出たけど、
どんなにつらくても泣かないって決めたから、
体がどうにも痛くてたまらない時以外は泣かなくなった。
片方の膝をやられ、もう片方にも痛みが走った時、
“もう歩けなくなる”と思ったけれど、なんとかゆっくり歩いてる。
まだ大丈夫。まだやれる。そう思ってがんばっている。
右肩がやられ、左肩がやられつつある。
でも、まだ大丈夫だ。
そう言い聞かせる。
自殺することほどこわいものはない。
私は死にたいとたとえ思っても死ねない人だから、
必死で生きることを考えるだろう。
そうなるまで涙はとっておこうと思う。


1998/4/25(土)
普通の人と身体障害者との間を行ったりきたりしている。
私はどっちの領域にいるんだろう。
言ってることは普通の人と変わらずに話ができるのに、動こうとすると…。
難しい。
老人ホームのことや、年金のことを話すと、その時によって左右に揺れる。
どっちになればいいんだろう。


1998/4/15(水)
いくら次の日が前の日より体調が良くても、
やっぱり首がつったり、首が崩れそうになるとつらくなる。
痛いものは痛い。
そのたびに、“笑顔x2”“大丈夫x2”“もう少しで良くなる”と
自分をだまそうとするけど、やっぱりつらい。
ここに書きつけていないと笑えない。

それでも、痛くても歩かなければ、自分を壊してしまうから、
今日は郵便局まで行ってきた。
もう、さやえんどうのつるが伸びてきている。
ボケの花も咲いている。
ちゃんと季節は動いてる。
私は1学期は何をやってもダメだから、もう少しがまんしよう。
2学期頃ならもしかしたらチョットくらい成績が上がるかもしれない。


1998/4/14(火)
今日もつらい。雨のせい?
でも、肩は回んないし、腕が上がんないし、膝は崩れるし、
体を支えるのがとてもつらい。
一生懸命笑顔を作っても、あっという間に崩れてしまう。
痛い。
このまま体中ボロボロになっちゃうのかなあ…。
死んだりしないよね…。

いよいよ鉛筆が削れなくなった。
いつかまた削れるようになるだろうか。

夜、ほんの少し体調が戻った。
やっと本来の笑顔が鏡に映るようになった。


1998/3/31(火)
明日から4月。
年度が変わって新しくなる。
私の周りは、新入社員でいっぱいだ。
周りの雰囲気にのせられて、私までが新鮮な気持ちになる。
でも、その反面、自分とのギャップと不安もよぎる。
とりあえず、みんなの門出を祝うとともに、
私なりの応援をしてあげたい。
私は…何をしようかな。
私の新しい生活を探さなきゃ。
1日のペースをちゃんと作って、
まわりのみんなと同じ感覚でがんばらなくちゃ。
同じことができなくても、同期生として同じ感覚だけは持っていたい。
電話したり、会ったりして、遠くなったって感じないように、
私なりに努力できることを探したい。


1998/3/27(金)
私は卒業したことで、何もかもきれいに終わると思ってた。
さびしくないといえばうそだけど、何かしなきゃいけない気がしてたから。
それを探すのが、これからの私のすることだって思ってた。

仕事をして生活することができない。
自立することができないのがこわいのだ。
いつ何がおこるかわからない。
両親だって、いつまでこうしていられるかわからない。
だからこそ、自分でしなきゃいけない何かを探して、
1つでも自分のものにしていかなきゃ自信がないのだ。
かといって、これを誰かに訴えても始まらないから、誰にも言わない。
… 中略 …
“今はできないだけだから”と励ます母の言葉はありがたい。
いつまでも私は大学に浸っているわけにはいかない。
何もかもきれいに整理して、一からやり直していかなければ。
これを私のスタートに、もう1度何もかも切り替えなければやっていけない。
もう終わりにしたい。


1998/2/15(日)
何もない日が幸せ。
何も考えない日が幸せ。
やっぱり体調の優れない日はとりのこされる。
自分のペースで進める日は、どうしても楽である。
平凡な毎日がこんなに幸せに思えることは、いいことなのだろうか。
ほんの少し痛みが弱くて、ほんの少しいつもより笑えたら、幸せだね。
TVを見て感動できる幸せ、おいしいものを食べておいしいと感じる幸せ、
そんな単純な、でも小さな幸せをたくさん感じられればいいね。

涙はこらえようとすればするほど、とどまることを知らない。
だから、がまんなんてしないで、流れるだけ流せばいい。
そして、いつか涙が枯れた時こそ、
新しい何かが見えてくる。そんな気がする。


1998/2/11(水)
足が痛い。腕が上がらない。膝が伸びない。肘が響く。
指が思うようにいかない。関節がはずれる。
あと何年この思いをしたら事務職に就けるというんだろう。
いつまでこんな思いをすればいい?
噛み締める歯もボロボロになりそうだ。
つらい。
でも、ちゃんと歩いてる。ちゃんと動かしてる。ちゃんと薬も飲んでる。
他にどうしろというの?何か悪いことした?
こんな思いしてもう出かけたくない。
歩きたくない。動きたくない。誰とも会いたくない。
いっそ本気でそう言えたら・・・。
痛くても歩かなきゃいけない。生きなきゃならない。
情けなくても、こらえなきゃいけない。

私の弱いところは、同世代とくらべて批判的になったり、
頭を抱えてしまうところ。
“私はーーーーー。”と思ってはいけない。
つい自分の価値観をぶつけてしまう。
やなやつだ。
あきらめの悪いやつだ。


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