RAライフが始まって、これが長い長い付き合いになることを、 徐々に実感するようになりました。 そうなるにつれ、これから10年、20年、30年と続くであろう先の人生を、 RA一色で塗りつぶしたくないと思うようになりました。 治療も大事。RAの現実を知っておくことも大事。 だからといって、RAしかない人生をこれからずっと生きていくには、 あまりにも先が長すぎる。 やっぱり私はできることを見つけたい。 人生の終末に “楽しかった”と思える生き方 をしたいと思ったのです。 そこから、“生きがい探し” が始まりました。 できないことが増えた今、“やりたい=できる” の公式は当てはまりません。 好き、嫌いをいっている余裕はないので、 できそうなことはとりあえず何でもやってみました。 ワープロ、読書、千羽鶴、そろばん、ジグソーパズル、裁縫、ペーパーフラワー、 料理、作曲、小説、手紙のやりとり、サボテン育て、資格の勉強…etc。 (ほとんど体的な問題で挫折しましたが(苦笑)) あれほど嫌いだった勉強でさえ、 いざ始めると楽しいと思えてしまうから笑ってしまいます。 今できているパソコンも、ガーデニングも、読書も、サッカー観戦の趣味も、 話題の映画を見るようになったのも、 思えば、この“生きがい探し”がきっかけで好きになったものばかり。 けっして、私の中にもともとあったものではありません。 ゼロから始めるって、案外そんなものなのかもしれません。 突然、何かのきっかけで生きがいになってしまうのかも。 探せばまだ見つかりそうな…そんな気がする。 |
音に敏感だったり。絵などの芸術的才能に目覚めたり。 障害をもった方が思わぬ才能を発揮した…なんて話をよく聞ききます。 じゃあ、私の才能は?…なんて、時々思ってみるのですが。。 ガーデニングにはまった時には、 簡単ガーデニングのスペシャリストになりたい!なんて、夢も見ました。 もちろん、体的なことで挫折することは日常茶飯事。 このたびも、あっさり挫折したのですが。。。 なりたいものや目指すものがある時は、とても気持ちが充実しています。 ダメでもともと。ダメがもともと。 探し続けていれば、1つくらい何か見つかるかもしれない。 見つかるまで探すのが、私の人生なのかもしれません。 |
私は案外あきらめが悪く、とことん最後まで頑張ってしまう方。 RAをやるには不向きな性格だと思います。 でも、RAをやっている間には、 容赦なくあきらめなければならないことが出てきます。 そんな時、私は発想を転換するようにしています。 大切なのは、見栄や体裁ではなく“本質”を見極めること。 本当にそれが必要なのか?本当にそうでなければいけないことか? そこをよく考えてみる。 なくても困らないもの、無理してやらなくてもいいことが、 実はたくさんあることに気づきます。 命にかかわるならともかく… やってもやらなくてもいいこと、何かで代用できることなら、 思い切ってやめてみる。変えてみる。 “私にはこれしかない!!”というこだわりを持っているのは、 案外、自分だけなのかもしれないということに気づいたりします。 あきらめたら終わり…とよく言うけれど、 あきらめることは終わることではなく、新しいことが始まるということ。 私はRAによって、いろんなものをなくしたけど、 それに代わるいろんなものを手に入れることができたと思うのです。 あきらめず、ひたすら1つのものを追い求める人生もひとつだけれど、 発想を転換して肩の荷をちょっぴり軽くしてみるなんて、どうでしょう? |