大きな希望。
2001年04月25日(水)
雨の中の通院日は、気分もイマイチノってこない。
晴れた日は、近くのCD&本屋さんまで足を伸ばせるんだけれど、
雨の日は体調・傘など、その他もろもろの理由で行けなかったりする。。。ぐっすん。
ゴールデンウィーク直前の平日だけあって、待ち時間もいつもの倍はかかってしまった。
やっと順番が回ってきて入った診察室では、朗報が待っていた。
「あと2年待てば、リウマチをばちっと抑える薬が出るヨ♪」
ホントですかーーーーー???
じいさん先生の久しぶりのくしゃくしゃ&誇らしげな笑顔。
よっしゃ〜〜〜ヽ(^_^)。
これであたしの人生バラ色よ〜〜〜(TーT)
ついでに、欲張って聞いてみた。
「壊れた骨がまた再生するとか、擦り減った軟骨が増殖する薬や遺伝子治療はないですかねぇ?」
私の場合、こっちの方が深刻なもので、つい(^_^ゞ
さすがのじいさん先生も、苦笑い。
そんな調子のいい話は、今の世の中まだ早いか(^_^;)
でも、いいんだ♪
あと2年待つ。。。がんばるp(^_^)q
それまで、少しでもいい状態を保っていこう。
未来は、明るいぞぉ♪♪♪
新総裁誕生。
2001年04月24日(火)
自民党の総裁選。
私もかなり注目してきた。
自民党のホームページも初めて見にいったし、
ホームページの人気投票にも目を通したりしていた。
地方の予備選。。。あれがおそらく国民の声なのだろう。
その声は、あれほど派閥重視で進んできた国会議員さえも動かしてしまった。
「派閥にとらわれない」構造改革は、ここですでに始まっていたのかもしれない。
小泉新総裁。
私はもともと自民党派ではないが、今回の小泉新総裁の構造改革には注目している。
三役人事、閣僚人事、さらには野党とのかかわり方など、
新たな改革への波風はすさまじいものだろう。
でも、中途半端な妥協はせず、思う存分改革に取り組んでほしいと思う。
改革は始めなければ良くも悪くもならない。。。いや、むしろ、もっと悪くなるかもしれない。
今の私のリウマチライフの考え方も、同じような方向に進んでいる。
一般的な生き方とは違う生き方をすることに、すごくためらいを感じてきた私。
でも、私のカタイ頭の構造改革も、始めなきゃね(^_^ゞ
凶運。
2001年04月15日(日)
朝、新聞の占いを見た。
『凶運が忍び寄ってきている』とか。
体調もそれほど悪くない。
凶運を予感させるものは、これといって思い当たらなかった。
ちょっと遠出して、夜の森公園に花見に出かけた。
(『WALKING2001』マイブームで写真を公開)
満開を過ぎ、散っていく桜もまたよろし。
世が世なら、花見の席では水干&烏帽子の舞姫が舞を舞っていたかもしれない。
おっと。。。時代錯誤しそうだわ(^_^ゞ
行きはよいよい、帰りはこわいとはよく言ったもの。
(いやいや、ちょっと「こわい」の意味が違うかも)
何年ぶりかの車酔い(^_^;)
1時間も走ってないじゃん。。。どうしてぇぇぇ?気分悪い(-_-;)
復活後、お昼を食べようとお蕎麦屋を探したんだけど、
山の中なもんで、なかなかお店が見つからない。
そこで、帰り際による予定だったお菓子屋さん(柏餅が名物らしい)に直行。
ところが、柏餅は人気で売り切れなのか、あと5分待たなきゃないらしい。
予約を入れておき、近場で昼食のお店を探し、
やっと見つかったと思ったら、ガーン・・・臨時休業(TーT)
逆もどりして、先に柏餅をGET。
結局、昼食は地元近くでやっとお店を発見。
うどんを注文したら、大きな海老天入りのおいしそうなうどん!
なのに、車酔いが尾を引いて油ものは食べる気力がない(^_^;)
あーん。。。大きな海老天がぁぁぁ(TーT)
そして、さらに外に出るとアスファルトがなんだか匂う。
うっそ〜〜〜雨が降ってる・・・それも、雷付き。
関節やられちゃうよ〜〜〜ん(TーT)
速攻でうちに戻ってお茶をいっぱい飲んだ頃・・・おや?天気が回復!?
これって凶運?もしかして・・・大凶?
またまた*バス。
2001年04月14日(土)
市街地に出た母が帰ってきた。
「ちょっと、やっぱり例のバスが走ってるよ。乗って帰ってきたんだもん。」
『例のバス』とは、前の日記にも書いたあの車椅子で乗り降り可能なバスのこと。
(以後、『ワンステップバス』とする)
「運転手さんにも聞いたけど、この時間はいつもこのバス(ワンステップバス)なんだってさ。」
案内所に確認した時は走っていないと言われたのに、母は同じ時間に2度も乗ったそうだ。
どういうことなんだろう?
でも、こうなったら自分で確かめてみるしかない。
近いうちに、母が乗ったという時間のバスに挑戦だp(^へ^)q
続*バス。
2001年04月11日(水)
車椅子でも乗れるバスについて、バス会社に問い合わせをしてみた。
なんでも、現在5台の車椅子バス走っているんだそうだ。
(正式にはノンステップバス・ワンステップバスというらしい。)
期待が高まる!これはもしかすると・・・。
ところが、期待ははずれてしまった。
駅⇔大病院などは通っているらしいのだが、
私の地域ではそのバスは運行されていないそうだ。
え?じゃあ、前に見かけたあれは?
ガイドさん「あれは、たまたまでして(^_^ゞ」
そんな〜〜〜(TーT)
やっぱりここは田舎なのか〜〜〜(TーT)(_ _)(TーT)(_ _)
すごくがっかりした。
当分は、自家用車@親の運転とタクシーでがんばるしかないか。。。
でも、ガイドさんの言葉に、ちょっとだけ期待させてもらうことにした。
「ご利用のお客様がいらっしゃれば、運行できるよう上の者とかけあってみます。」
たとえ社交辞令であっても、大変ありがたいことだ。
私の町ではお年寄りをよく見かける。
ステップの低いバスを望むのは、おそらく私に限ったことではないと思う。
私たちの貴重な足になってくれるバス会社さん、どうぞよろしくお願いします<(_ _)>
花見は花見でも。
2001年04月08日(日)
日曜日ということもあって、両親と花見に出かけた。
といっても、名所といわれる場所ではなく、
四季折々の花が楽しめるフラワーセンター。
お目当ての桜は1〜2部咲きで、まだちょっと早かったらしい。
街中は3〜4分咲きくらいになってたんだけどなあ。。。
そのかわり、満開の菜の花畑に出会うことができた。
毎春のことなのに、毎回その風景を見ると感動してしまう。
すごい!まさにじゅうたんって感じ。
(デジカメ写真がきれいに写っていたら、そのうち。。。)
すごくたくさん咲いてるから、香りもまじりっけのない純粋な菜の花の香り。
すごく幸せに浸ってきちゃった(^_^ゞ
でも、かなりびっくりしたものがひとつある。
それは、小さな池にいたおたまじゃくし。
かわいい*^_^*・・・じゃないんだこれが。
7〜8cmはあるかと思われるドデカイおたまじゃくし。
あそこまでいくと、すでにおたまじゃくしというよりか、フグの子供!?
すごいものを見てしまった。。。今でも唖然としていたりする。
他にも、いろんなものを目にした。
まともに実がなってる夏みかんの木。空を泳ぐこいのぼり。。。etc。
久々のドライブで、あまり感じてなかった季節を感じまくって気分爽快だ。
バス。
2001年04月07日(土)
コンビニに行った帰り、ちょっと足にきたので、バス停のベンチで休憩した。
田舎町なのでバスはそれほどたくさんは走っていない。
ちょっと休ませてもらっても、それほど差し障りはないのだ。
バスに乗れるとけっこう行動範囲が広がるだろうなあ。。。
歩きざま、横を通り過ぎるバスを見て思うことだ。
普通バスのステップは、なんとしても高い。
それは健常者だった頃から感じていた。
たった3段のステップも、おばあちゃんなどはかなり大変だったことだろう。
ところが、今日、車椅子マークのバスが走っているのを見た。
そのバスは、ステップの段差が解消され、
スロープを使えば車椅子でも乗れてしまう優れもののバスなのだ。
私も1度だけ、展示されている車椅子マークのバスに乗ったことがある。
ただ、その時立ち会ってくれた運転手さんの話では、
この地域ではまだ1台しか走っていないとのこと。
普及するにはかなり時間がかかるだろうと、半分あきらめていた。
今回見かけたそのバスは、時間こそ限られるけれど、繁華街を通っているという。
もしかしたら、私もそのバスに乗れれば、大好きなショッピングにも行けるかもしれない!
希望の光が見えてきた。
詳しい情報を集めて、近いうちにそのバスに挑戦したいと思う。
教科書。
2001年04月06日(金)
小学校の教科書の問題が、あちこちで取り上げられている。
今回の教科書は、学習内容を3割もカットしたものだという。
大幅に学習内容をカットしたのは、世界中で日本だけだそうだ。
学力低下が問題になっているのに、大丈夫なのだろうか。
一昔前、友達が弟の教科書の内容を見てびっくりしていた。
算数では円周率が「3.14」ではなく、「3」だ。
社会では東山(北山?)文化がない。
有名歌手のあの曲が音楽の教科書に載ってる。
その話を聞いて「なんて簡単な教科書だ」・・・正直そう思った。
それでもなお、塾に通わなければ授業についていけないのだという。
いったいどんな授業を受けてきているんだろう。
もっとめんどくさい教科書で学んできた私としては、
なんとも不思議な現象だと思う(^_^;)
『わかっていて使わない知識と、わからなくて使えない知識とでは訳が違う』
とある先生が言っていたことだ。
わかっていても使わない知識など無駄だという人もいるが、
わかっていれば、その知識を多方面に応用していくこともできる。
そこには常に『可能性』というものがある。
しかし、わからなければ、それ以上の『可能性』はないのだ。
これまでの教育はただの詰め込み式だと批判的な意見もあった。
しかし、詰め込んだ知識が何かの拍子によみがえり、
何かを生み出すきっかけになると思う。
その『可能性』たる基礎学力を減らしてしまうことに、私はちょっと疑問を感じている。