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●●● 東日本大震災 復興の歩み ●●●
〜 震災から10年を迎えて 〜

2011年3月11日 pm2:46。
東日本大震災は起きました。

立っていられないほどの激しい揺れ、10mを超える大津波。
そして、福島第一原子力発電所の爆発事故。
沿岸部を中心に壊滅的な被害を受け、
多くの人が他市町村への避難を余儀なくされました。



あれから10年。

津波で廃墟となった建物は撤去され、
亀裂が入った道路は鋪装され、見違えるようになりました。
地元の町もすっかり変わってしまいました。
津波で流された町は、どこに何があったのか判別できないほどです。
とはいえ、町を歩いていると各所に震災の痕が残っています。
亀裂が残っている建物や道路、ずれて陥没している歩道、
津波の到達した高さが示された場所・・・
自慢の海が見えない高さの防潮堤もそのひとつです。

原発事故は今なお廃炉作業中です。
核燃料が溶け落ちるメルトダウンを起こした3号機は、
震災から10年を前に、2月28日に核燃料の取り出し作業が完了。
残る1号機、2号機の廃炉作業はこれからです。
あと何年、何十年かかるのか、見通しはたっていません。



帰還困難区域を除いて、放射能の濃度が下がり、住民の帰還が始まっています。
新たな道路が整備され、道の駅やショッピングセンターがオープン。
水耕栽培のいちご栽培、野菜の工場栽培など、新たな農業も展開。
復興の歩みは今も続いています。
あまりにも長い避難生活となり、帰還を果たした人は一部にとどまっています。
多くの方が避難先に拠点を移し、新たな生活を始めた方も多いです。

そんな中で新たな産業が生まれ、新しい農業や漁業の在り方を模索し、今に至ります。
厳しい検査を経て地元の野菜や果物はスーパーに並び、
2021年、地元の漁業は試験操業(※)から本格的な量を再開する予定です。
※試験操業とは、風評被害による販売減にに伴う漁獲量の調整であり、
海洋汚染によるものではありません。

私もこれまで検査で安全が確認された地元産の野菜や魚を食べてきました。
が、震災から10年を機に受けたホールボディカウンターの検査でも、
体内への放射性物質の蓄積は見られませんでした。
あの風評はいったいなんだったのか・・・
真実を捻じ曲げ、人を傷つけただけで何も生みださなかった。
こんな思いはもうしたくないし、誰にもしてほしくない。強く願います。

震災がなかったら生み出されなかったものが、新たな福島として根付いています。
復興は元に戻すことではなく、新しく生み出されるものなのかもしれません。



2021年2月13日、
震度6強の地震が再び福島を襲いました。
東日本大震災の余震だそうです。
再び、各所で店舗のガラスが割れ、物が散乱。
法面が崩れるなど、多くの被害が出ました。
けれど、そこからまた再生に向けて動き出しました。
割れたガラスを片付け、散乱した物を片付け、路面を補修し、
過去の経験を活かして再び歩き始めています。

人は本当に強いです。人には再生する力がある。
本当の悲しみや苦しみは胸の奥に封印しているというのが正しい。
けれど、壊滅的な状況の中、助け合い、励まし合い、
時には喧嘩になり、涙しながら、何度も前に進もうともがくのだと思います。

原発を抱える福島の復興は課題が山積しています。
今、目の前に汚染水の海洋放出の問題を突きつけられています。
苦労してここまで風評被害を克服してきたのに・・・
10年経ってなお胸が締め付けられる思いです。
復興にはこれからさらに何年、何十年とかかると思います。
水害、コロナ、新しい課題を乗り越えながら、
新たな10年に向かって前に進むことになるのでしょう。



あらためて、東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
そして、福島が、被災した方々が、今を生きている人たちが、
平穏で幸せであって欲しいと願っています。



(写真をクリックすると別ウィンドウで拡大できます)

10年後にまさかの余震。
防災を見直す時期なのかも。
部屋の物が落ちたり倒れたり。
お店のガラスが割れ、散乱する被害も。


ホールボディカウンター検査結果。
体内に放射性物質は確認されず。
(2013年9月11日)
ホールボディカウンター検査結果。
体内に放射性物質は確認されず。
(2021年3月10日)


10年前、支えてくれた
多くの人たちがいました。
感謝の気持ち、忘れません。
10年後もまた水仙が開花。
花が咲くたび思い出す記憶。
ずっと忘れない。


〜 2021年3月11日 あや丸@管理人 〜


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