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●●● 東日本大震災 復興の歩み ●●●
〜 震災から1年を迎えて 〜

東日本大震災から1年。。。再び3月11日を迎えました。
息の長いご支援、本当にありがとうございます。
被災された地域の皆さま、あらためてお見舞いを申し上げます。

わけもわからぬまま駆け抜けてきた意味ではあっという間であり、
刻々と状況が変わっていく深刻な原発問題と向き合う意味では長い1年でした。

地震、原発、復興、新たな課題…伝えたいことはたくさんあります。
その中のほんの少しだけですが…
その後の福島(主に沿岸地域)の様子を載せようと思います。

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<2012年3月10日現在の福島県の被害情報>
■ 県内の震災後の主な経緯 ■

2011年3月11日
  東日本大震災発生。
  (最大震度6強の揺れを観測)
  大津波警報発表。
  (海岸地域に高さ10m超の大津波が到達)

  東京電力福島第一原子力発電所
  1〜3号機自動停止・電源喪失。
   (半径3km圏内に避難指示、
     〜10km圏内に屋内退避)


2011年3月12日
  1号機で水素爆発。
   (半径20km圏内に避難指示)


2011年3月14日
  3号機で水素爆発。

2011年3月15日
  2号機で白煙確認。
  4号機で火災発生。
   (半径30km圏内に屋内退避指示)


2011年4月11日
  震度6強の地震発生。
  津波注意報発表。

2011年4月12日
  震度6弱の地震発生。

2011年7月31日
  震度5強の地震発生。

2011年9月29日
  震度5強の地震発生。

■ 被害状況 ■

人的被害
死者:     1,997人
行方不明者:  53人
重傷者:     20人
軽傷者:    162人

住家被害
全壊:    20,160棟
半壊:    65,412棟
一部破損: 148,229棟
床上浸水:  1,053棟
床下浸水:   340棟

その他の建物被害
公共建物:  1,116棟
その他:   24,806棟


■ 避難状況 ■

避難指示、勧告及び自主避難
計 30,782人
 【参考】避難所等入所者数(2月23日調べ)
    ・県外 62,674人


(県HP公開のデータを参考*一部補足あり)

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大津波に遭った地域は、岩手、宮城の沿岸部同様、今も土台だけが残っている状態です。
原発の避難地域に至っては、がれきさえ手つかずのままです。
避難先に仮の役場が設置されたり、冬場は慣れない雪かきに追われたり…
避難した人たちはそれぞれの避難先で新しい一歩を踏み出しています。

避難先で、り災証明書を発行
避難先で、り災証明書を発行
11月*避難先で行われた避難区域の選挙
避難先で行われた避難区域の選挙

そんな中、少しずつですが、被災した店舗が移転先で営業を再開する動きが出てきています☆
ほんの一例ですが…

9月3日、小学校の敷地内に「 久ノ浜「浜風商店街」 」がOPEN!
(津波で甚大な被害を受けた海岸沿いの商店街が、仮設の店舗で復活しました)
11月4日、市街地の空き店舗に「 夜明け市場 」がOPEN!
(震災や原発の影響を受けた飲食店が、市街地の一角に集まりました)

海を見ながら食事ができた私のお気に入りのパスタ屋さんも市街地で営業を再開☆彡
アサリのパスタ☆

頑張ってます、福島 p(^―^)q


風評に負けじと、農業、水産業、観光業も頑張ってます!
秋に収穫を迎えた福島のお米は、地域ごとに放射性物質の検査を経て出荷にこぎつけました☆

9月13日*米の放射能検査概要の一部

地元の海ではまだ漁が再開できていませんが、
水産物加工場は他県産の魚介類を取り寄せて工場を再開しています☆

10月1日*特産のうにの貝焼きを販売(いわき復興祭にて)
(特産のさんまのみりん干しやうにの貝焼きも復活☆)

今でも各地で復興イベントが開催されています。
復興のシンボルとして、各地で華麗なフラダンスを披露してきたフラガールたち。

10月1日*いわき復興祭 10月1日*いわき復興祭

そのフラガールたちの拠点である「スパリゾートハワイアンズ」は、
2012年2月8日、半年の休業(10月に一部再開)を経てグランドオープン☆
(施設内外、源泉、水道水などの放射線量測定結果を公表するなど、努力を重ねています)

津波の犠牲者の冥福を祈る高校生のじゃんがら念仏踊りや、
風評と闘う農家さんたちの農産物PRなど、復興イベントは大いに盛り上がっています☆

10月1日*いわき復興祭 10月1日*いわき復興祭
10月1日*いわき復興祭

福島の農産物やおみやげ品などに関しては、
モニタリング情報の公開と品質管理を徹底しています。
安全な物から出荷制限が出ているものまで細かく公開したり、
首都圏などに出向いて福島の食材のPRを展開したり、
消費者の不安を払拭しようとする努力は、近くで見ていて涙ぐましいものがあります。

原発避難区域も負けてはいません。
浪江町のご当地グルメ*なみえ焼そばは、避難生活の中でもPRを続け、
2011年のB−1グランプリで4位入賞を果たしました☆彡
(「 浪江焼太国公式ブログ 」もあります)

10月11日*ローソン期間限定のなみえ焼そば
もやしと豚肉+焼きそばというシンプルさですが、これが意外とはまります!

厳しい状況の中で、福島は立ち上がろうとしています☆


営業を再開できたとしても、それで一件落着ではありません。
観光施設では原発の影響で来客数は例年の2〜3割程度にとどまっていているとか。
それも大半が地元客。県外からの客足はさらに厳しい状況だそうです。
それでも各地を回ってPRを続け、安全確保に全力を注ぎながら、
少しでもお客さんに戻ってきて欲しいと、生き残りをかけて努力を続けています。

長く住み続けるというなら心配も尽きないと思いますが、
ちょっと遊びに〜程度の旅行なら問題のない場所も実は多いです。
(特に内陸の会津地方は原発の影響も少ないし、今なら格安の旅館も!)
何とか生き残ってほしい。。。祈るような気持ちです。


放射能との戦いは今もなお続いています。
各地域の役所では個人に線量計が無料で貸し出され、
モニタリングポストと呼ばれる放射線量の計測機器も各地に設置されています。

放射能との戦い*線量計貸出 役所に設置されたモニタリングポスト

また、6月以降、福島県民の健康管理調査も順次進行中。

県民健康管理調査 県民健康管理調査*記入例

震災直後の行動から予測できる被ばく量を割り出すための問診票が届き、
私も2011年3月〜4月の記憶をたどる作業に追われました。
(後日、被ばくに関する推定結果が届く予定です)
とはいっても、混乱を極めていた時期だけに記憶も定かではないのですが(苦笑)

除染に伴い、避難地域の帰村の動きも見え始めていますが、
震災直後のまま時間が止まっている地域がほとんど。
ライフラインや道路の復旧、地震や津波で壊れた家屋の修理や職場の再開、
学校などの公共施設や病院の環境整備…
除染だけで即元通りという状況では決してありません。全てがこれからです。

中間貯蔵施設の具体的な設置要請をうけ、原発周辺地域は揺れています。
1年も経てば、避難先での生活基盤ができている方も多いです。
自宅や職場の二重ローン、失業手当の期限、子供の学校問題などの課題を抱え、
できれば戻りたい。。。でも、今のままでは戻れない。。。
そんな複雑な思いで避難生活を続けているのが現状です。
町や村のこれからのあり方も含め、
大きな決断を迫られる時期が近付いているように感じます。

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報道を見ていると、すでに過去を顧みるかのような震災の記録映像の数々。
けれど、1年経った今もなお、被災地の震災は終わっていないし、
放射能と向き合いながら手探りで暮らす現状は変わってはいません。
多くの方が仮設住宅で暮らし、職を求め、事業再建のために駆けまわっています。
復興は本当にこれからです。

ここに載せた現状はほんの一部に過ぎませんが、
たくさんのみなさんの支えを受け、福島は前に進もうとしています。
他の被災地も同じだと思います。
けれど、どうしてもがれきの処理や復興に向けた環境整備などなど、
みなさんのご支援が必要な場面がまだたくさんあります。
(特に原発の影響が少ない宮城や岩手の復興の手助けはぜひお願いしたいです)

どうかこれからも温かく見守ってやってください。
そして、どうかこの日が来るたび、震災のことを思い出してください。
阪神大震災の教訓がこの震災でも生かされたのと同様に、
今回の教訓がこれから先の防災に生かされていくことを心から願っています。

(目を通してくださってありがとうございました*^_^*)


〜 2012年3月11日 あや丸@管理人 〜


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追記*福島沿岸の津波地域
3月14日、津波地域の現状
写真左側が太平洋です。
3月14日、津波地域の現状
陸地に向かって…
3月14日、津波地域の現状
180度、土台しか残っていません。
〜 津波地域の現状(2012年3月14日現在) 〜

ご報告が遅れました。沿岸地域に出向いてきました。
ここは海を見ながら食事ができるカフェや旅館などが並んでいたのどかな町でした。
夏になると県内外から海水浴客が多く訪れ、
砂浜には海の家がずらりと並ぶ風景がごく当たり前にありました。

震災から1年を過ぎ、津波にあった地域はきれいに片づけられていました。
が、震災直後は、8m位の高さの津波に流されて傾いた家、おもちゃのように散乱する車、
バラバラになった木片やコンクリート片の山に覆われている状態でした。
(Youtubeの動画や個人が撮影した写真などがネット上にたくさんあります)
道路標識は、今でも根元から曲がっているところもあります。

その後、ボランティアの方々が県内外から集まってくださり、
人の手がここまでの姿に戻してくれました。
(この1年の福島県全体のボランティア活動者数は 146,234人 とのことです)
原発事故で揺れる中、助けてくださった皆さん、
本当にありがとうございました!

実際車で走ってみると、目印になる建物が消えてしまっているため、
今までどこをどう曲がって進んでいたのかわからなくなります。
ここに何があったのか、記憶をたどりながら進んでいる状態でした。
それでも津波に遭った地域のコンビニは元気に営業を再開し、
かろうじて免れた近隣住宅は修繕が進んでいました。
津波に遭った中学校は今も近隣の中学校に間借りする形で授業が行われ、
卒業生は1年ぶりに母校に足を踏み入れることができたそうです。

津波地域は今、高台移転などの生活基盤再建に向けた動きが進んでいます。

〜2012年3月17日〜


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