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●●● 東日本大震災 復興の歩み ●●●
~ 震災から3か月を迎えて ~
6月11日、東日本大震災から3ヶ月を迎えました。
ほんの一部に過ぎませんが、この3ヶ月間の復興の歩みを載せてみようと思います。
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被災地にさくらが咲きはじめた2011年4月。
ガソリンの安定供給、各店舗の通常営業再開、がれきや災害ゴミの片づけ、
水道の復旧、放射能汚染による水道水の摂取制限解除、
市民サービスセンターの再開、鉄道の運行再開、学校の再開・・・
少しずつ、町は復興に向けて動き出しました。
その傍らには、たくさんの人たちの努力がありました。

毎日のように自衛隊の災害派遣車両とすれ違い、頭上を何機もの輸送機が行き交ってました。
行方不明者の捜索、がれきの撤去、給水や入浴の支援、病人や物資の搬送・・・
さまざまな場所での活躍を見かけるたび、
「遠方からありがとうございます」「頑張ってください」と敬礼する日々でした。
また、様々な企業努力も被災地の底力を感じるものがありました。

工場が被災し、生産ラインがもどらない中で供給を続けてくれた食品メーカー。
安定営業を目指し、少しずつ営業時間を戻していった地元の店舗。
余震への対応、節電による薄暗い店舗での営業、少しずつ埋まっていく商品の棚・・・
日1日と空っぽの棚が埋まっていくことで、復興を実感していました。
我が家でも新しい食器棚や食器を少しずつ買い揃え、
少しでも元の生活に戻そうと頑張っていた矢先・・・
4月11日・・・
ちょうど震災から1か月後に起きた震度6弱の余震は、市内各地で大打撃でした。
直後から各地で停電。ほぼ市内全域で復旧した水道が再び断水。
(幸い、電気は1時間ほどで復旧)
再び、水や食料を買う人でごった返したり、すっかり震災直後に戻ったようでした。
(店の営業は早い段階で通常に戻り、流通は安定。ほっとしました。)
今回の揺れでは、3月に無事だった家や店舗にもだいぶ影響が出ていた様子。
3月の段階では持ちこたえていた建物のひびや崩れが目立ったり、
庁舎の床にひどい亀裂や隆起が起きて、役所機能が別な建物に移転することになったり。
また一から出直しになってしまいました。
さらに原発の風評被害が拡大。
農産物や工業製品にとどまらず、福島県民への風当たりが強まりました。
福島から来たというだけで、放射能を恐れて拒否される事態があちこちで起きていると。

スクリーミング(被ばく検査)を受けていても、
福島県民というだけで受け入れてもらえない現実・・・
「もういいよ。福島県人は福島県人だけで生きていくから・・・」
新聞に投稿されたそんな悲痛な声は、
福島県民が少なからず抱いた感情ではないかと思います。


その一方で、お店などを通じて配布された世界各地からの支援物資や、
GWに原発の渦中にある沿岸地域に駆けつけた1日500人を超えるボランティアの方々、
関西や九州など、遠方から応援に駆け付けた各業界の支援の方々の姿、
友人たちからのたくさんの励ましの声が、「ひとりじゃないよ」と背中を押してくれました。
この復興に向かって歩みだした3か月、震災被害とは違う新たな問題にも直面し、
とてもここだけでは話しきれない多くの経験をしました。
今でも時々来る余震にはびっくりさせられますが、
5月の間に我が家も家の片づけが済み、生活は落ち着きました。
地元にもたくさんの仮設住宅が建ち、子供たちも仮校舎による授業が再開。
少しずつ地元にも明るい話題が増えています。
けれど、福島県はご存じのとおり復興と同時進行で放射能対策に追われています。
情報が不透明だったり、基準があいまいで混乱する状況が今も続いています。
原発がいつ終息するのか、風評がこれからどのくらい続くのか、
余震も続く中、福島が本当に復興するには相当な時間がかかりそうです。

でも、できることを続けます。
元の「うつくしま福島」に少しでも近づけるように。。。
がんばろう、日本!! がんばろう、東北!! がんばろう、福島!! がんばっぺ、いわき!!

~ 2011年6月11日 あや丸@管理人 ~
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